きれい、さわやか楽しい明日へ。

「気丈な母」

  昭和3年13人兄弟の七番目として生まれ
   なぜか家を継いだ
  口減らしの為、料亭を営む本家に預けられた
   頑張り屋の母は赤十字の看護婦
  縁あって地元の小学校の養護教諭となった
    少々の事では動じない
  命の大切さを誰よりも主張してきた
   長男である私に全てを託し家を守った
  「あんたの好きなようにしなさい」
    母に何度救われた事か